おさぼりブログby TOYO外構(株)

※注 気分を害する方は読まないようお願い致します

夏の日の1999〜無関係話題〜

仕事とは一切関係のないお話(´Д` )

ただ単に自分の記憶を呼び起こす為だけの

お話

 

内容もなく長いのでスルーする事をお勧めします

 

 

 

 

 

 

21年前

 

高校1年の夏休み

 

 

部活を辞めてしまっていた自分には特にすることもない夏休み

 

 

その日も地元の仲間と暇していた時

 

仲間が突然

 

キャンプに行こうと言い出した15時

 

他の仲間も誘い18時頃

 

新習志野駅から4人で電車に乗った

 

 

行き先は「千倉」

 

 

千倉ってどこよ

 

 

当時はそんな場所知る筈もなく

 

 

電車に揺られながら

 

数時間

 

千倉駅に到着したのは20時〜21時の間だったと思う

 

 

降りてびっくり

 

すげ〜真っ暗(゚o゚;;

 

真っ暗な中に一つだけ灯りの点いている場所が

 

 

名は覚えていないがコンビニだった

 

そこで晩飯と食料を調達し

 

店員のおばさまに

 

漁港までの行き方を聞いてみた

 

何故漁港なのかわからないが言い出しっぺの連れがそこに行くと言うので流れに身を任せた

 

優しいおばさまは

 

タクシーを呼んで行き先まで運転手さんに伝えてくれて、尚且つ2000円でなるべく行けるとこまで連れてってあげてと言ってくださりました

 

運転手さんも

 

料金が2000円になる直前でメーターを止め、

 

漁港まで連れて行ってくださりました

 

すごく親切にしてもらったこと

 

今でもよく覚えています

 

あの時はありがとうございました

 

 

 

漁港に到着した無計画の少年達は

 

東屋の所でテントを張り

 

突然寄ってきた野良の子猫(翌朝、前の晩までその子猫をすげー可愛がってた仲間の1人が子猫がものすごーく臭い事に気づきぶん投げてました)

 

と共に、談笑しながら一夜を過ごしました

 

 

翌朝、通りかかったじーさんに

 

こんな所でテントを張るなと意味不明に怒られ

 

堂々とテントが張れる

 

キャンプ場を目指す事にした

 

この選択が大きな間違いで地獄の始まり

 

 

9時頃、渋々出発したのは良いが

 

当時、スマホなんて便利な物は無く

 

地図も無く

 

何処に向かえばいいのかも判らず

 

ひたすら炎天下の中を彷徨い歩き続けた

 

荷物の重さと暑さと目的地も判らない状況で

4人ともイライラのピーク

 

 

途中、言い出しっぺの奴と後から誘った奴が喧嘩を始めた

 

もうメンドクセーとしか思わなかった

 

ただひたすら歩いて辺りも薄暗くなった18時過ぎ

 

目的地であろうキャンプ場に到着した

 

さすがに疲れた

 

場所はイマイチ覚えていないが南房総だった気がする

 

その夜、昼間喧嘩してた奴等がまた喧嘩を始めた

 

テントを張る張らないで喧嘩してたんだと思う

 

砂が入るからテント張らないだのなんだのって

 

 

 

ちょうどその時、砂浜に足を取られ履いていたビーチサンダルが行方不明に・・・

 

辺りは暗くほぼ何も見えないし換えの履物もない

 

まじ喧嘩なんかどーでもいい

 

俺のビーサンを探してくれと・・

 

 

結局見つからず愛用していたビーサンは何処かへ消えてしまった

 

 

すげーショック

 

そしてテントも張ってないから寒い夜を過ごした

 

地獄だ

 

 

次の日、仲間の親父さんが釣りをしにこっち方面に来る、とその日の夜連絡があったので

 

朝早く起き、助けを待った

 

 

親父さんが迎えに来てくれて

車に乗っけてくれて助かった〜と

 

・・・この後、更なる地獄が待っているとは思いもせずに

 

 

そのまま親父さん達に連れられて船着場から船に乗り、沖にあるコンクリートの上に降ろされ

 

船は帰っていった。。。

 

船は数時間後に迎えに来るらしい

 

親父さん達は釣りを楽しんでいた

 

暇すぎるので日焼けしようと思い上半身裸になった

 

そしてあまりの疲れに、つい寝てしまった

 

日陰も何もない海の上

 

降り注ぐ太陽光

 

喉がカラカラになりハッと起きた

 

やばい、両胸の間がクソ痛い

 

 

日焼けなんてレベルじゃない

 

火傷してる・・・・

 

 

すごく痛かった

 

そして喉がカラカラ

 

でも海の上には飲み物もない

 

死ぬかと思った

 

 

そんな時、昼になり

親父さん達が昼飯にと全員分、事前にコンビニで冷やし中華を買ってきてくれていた

 

そして、飲み物は500mlのお茶

 

喉がカラカラな俺はお茶を飲み干した

 

この判断が致命的

 

暑さと喉の渇きで

 

とてもじゃないが、冷やし中華なんて余計喉が渇くものは食べれない

 

でも、せっかく買ってきてくれたので

 

無理矢理ゆっくりと食べた

 

飲み物はもうない

 

地獄だ

 

火傷で身体は痛いし

 

喉はカラカラ

 

冷やし中華は残ってる

 

 

地獄だ

 

 

早く迎えの船が来てくれるのを祈るばかり

 

その地獄のような時間が長く感じた

 

迎えの船がやっと来てくれて

 

陸への帰還

 

釣りなんてした事なかったが

 

沖釣り?というものが大嫌いになった

 

帰りは家まで送ってもらい

 

釣った魚までいただき、美味しく食べた

 

魚を頂くのは大好きだ

 

 

そこから数週間

 

胸は火傷、お腹は水膨れ

 

地獄だった

 

 

寝るのもままならない

 

 

とにかく痛い

 

 

服なんて着られない

 

シャワーは全て水

 

 

その後、少し落ち着いてきたら

 

シャワーをする度、お腹の水膨れに水が入り込み膨れる

 

見た目がすごく気持ち悪い

 

未だに思い出すだけで鳥肌が立つ

 

 

今となれば良い思い出だが

 

当時は色々と後悔しかなかった

 

 

そして

 

冷やし中華が嫌いになった

 

 

 

おしまい(´Д` )